木造金剛力士立像

基礎データ

資料よみ もくぞうこんごうりきしりゅうぞう
資料名 木造金剛力士立像
員数 1躯
所有者 歓楽寺
所在地
指定区分
種別 美術工芸品
指定年月日
年代 鎌倉時代
文化財の説明 鎌倉時代の作といわれ、等身大であるが、この種のものとしては小ぶりである。忿怒の眼鼻立ち、筋肉描写、数多くたたまれた衣槢(衣文の流れ)も深く、切れ味よく刻まれていてよどみがない。台座も当初のもので、磐石座とか岩座といわれるものである。13世紀半ばを下らぬものといわれていたが、今回の修理の際、両像の足柄から墨書銘が発見された。それによると嘉元4年(1306)9月20日、福信房慶範が野々村庄内を勧進して、歓楽寺仁王を彩色したことが記されている。願文は一部欠けているが鎌倉時代後期のもので、病気平癒の霊験あらたかな仏様として信仰されていたことが窺える。
参考文献 『心のふるさと 美山の文化財』2004.3 40頁
備考

基礎データ

資料よみもくぞうこんごうりきしりゅうぞう
資料名木造金剛力士立像
員数1躯
所有者歓楽寺
所在地
指定区分府指定文化財
種別美術工芸品
指定年月日1983/04/15
年代鎌倉時代
文化財の説明鎌倉時代の作といわれ、等身大であるが、この種のものとしては小ぶりである。忿怒の眼鼻立ち、筋肉描写、数多くたたまれた衣槢(衣文の流れ)も深く、切れ味よく刻まれていてよどみがない。台座も当初のもので、磐石座とか岩座といわれるものである。13世紀半ばを下らぬものといわれていたが、今回の修理の際、両像の足柄から墨書銘が発見された。それによると嘉元4年(1306)9月20日、福信房慶範が野々村庄内を勧進して、歓楽寺仁王を彩色したことが記されている。願文は一部欠けているが鎌倉時代後期のもので、病気平癒の霊験あらたかな仏様として信仰されていたことが窺える。
備考